日本人としてのベースを元にした作品を創るべき理由とは
みなさん、こんにちは。
人生100年時代の哲学を考察する Life100年研究所の 加藤 虎之介 です。
◇◆自分なりの日本人としてのベースを元にした作品を創るべき理由とは◆◇
最近、読んだ本からの話。
芸術において自前の権威のない日本では「外国で人気がある」という宣伝文句は、絶大な信頼として機能する。
ということ実現した日本人アーティスト村上隆さん。
彼がアメリカで成功するまでの道のりは平坦ではありませんでした。
村上さんは東京芸大の大学院に進むのですが、日本で芸術活動をすることの限界を感じます。一九九二年の三十歳の時に奨学金を得て渡米したことが村上さんを大きく飛躍させるきっかけになります。
そんな村上さんでしたが、本場アメリカに着いたはいいけど当初は現代美術の本場に圧倒されてしまい部屋でアニメを描く毎日を過ごしていたそうです。アニメをアメリカで見かけた時の「お!」という感情に気づいた瞬間に村上さんの中にあったオタクから日本人が本質的に抱え込む何かを示すことに作品のテーマにすることに気がつきます。
この気づきをきっかけに、「スーパーフラット」という独自の視点を盛り込んだ世界観の構築をされたことで徐々にアメリカで認知され世界に認められる現代美術のアーティストになったそうです。
日本の芸術の本道では世界に認められないと、村上さんは言い切ります。
正直に言いますと、私も最初に村上さんの作品を見た時の印象というのはあまり良いものではありませんでした。なぜならば、日本のアニメの世界観を(自分)の絵に書き加えて白人さんたちに受けただけでしょと私も生意気に思っていたのです。実はここが大きな間違いだったんです。村上さんが、日本のアニメをアートに取り込んでくれたおかげで日本のアニメが文化としてより一層世界に普及するキッカケにもなっていたんです。
そのあたりの前後の事象を知らない者からすると、「卵が先か鶏が先か」といったレベルの問答になってしまっていたんです。このあたりの状況を日本の美術界はあまり公にしてこなかったから村上さんの評価が日本では低いままになってしまっている原因の一つなんです。
話を元に戻しますと、アニメを日本文化として世界に発信された経緯を本書で初めて知りました。
そこに至る過程の村上さんの胸中を察すると読んでいる途中で涙が出てきそうになってしまいました。(またまた話が脱線しますが、90年代の日本のオタクブームというのは差別を根ざしたサブカルチャーに過ぎませんでした。この当時のオタクの扱いを知る者からすると現代のオタクは恵まれた環境だと思います)
日本人が日本の文化(今までは蔑まされてきたオタク文化)をベースに西欧の文化に受け入れられるために、新しい手法というか解釈を文脈として組み入れないと白人さん達には受け入れられなかったということがものすごく伝わってきました。(しかも、文化を発信するということはある種の知的な闘争であることも知りました。白人さんたちというのは、狩猟民族を起源としているためなのか基本的な部分で争って分捕るということを潔しとする精神を感じました)
今でこそ、アニメはクールジャパンと称されるようになりました。しかし、90年代までは日本でも確かにオタクの地位から脱出できずにもがいている状況だったというのが本当のところだったと思うのです。オタクという言葉の語源も、「お宅は〜」という話し言葉をよく使うグループという意味から来ていることからも半ば蔑称に近いニュアンスです。
かくいう私も90年代当時は、(自分自身は)オタクな面もあるくせにオタクには興味がないというふりをしていました。(そういうポーズを取らないと同世代の女性受けが悪かったからです)
なぜならば、90年代というのは宅八郎さんのイメージが強すぎてオタクはキモい、キショイの代名詞になっていました。オタクを今ほど堂々と語れない風潮というのが一般人の感覚だったと思うのです。どちらかと言うと、からかったり馬鹿にする対象でした。
そんな日本でも不遇の扱いを受けていたアニメとオタク(文化)こそ、日本文化だと言い切って日本の美術のベースに組み込んで製作しアメリカで発表したというのは相当の覚悟が必要だったと推測されます。失敗すれば、物笑いのタネになっていたからです。笑われるだけならまだしも、精神的にズタズタにされて再起できない状況まで追い込まれていたかもしれません。その上での成功でしたから、おそらく村上さんとしては「とりあえず生き延びたという感覚」だったのではないかと思うのです。
日本を飛び出してアメリカで勝負をかけ、実際に行動された。
当時の村上さんの周りには、自分の作品を評価してくれる人が少なくお金もなかったのに作品を作り続けていた心境を想像してしまうと、よく鬱や病気にならなかったな〜〜と思ったのです。
日本人として、西欧人に認められる作品を作って後世の人間に見てもらうという強烈な思いがあったからこそいまだに作品を作り続けることが可能だったことがよく伝わってきます。
世界に影響を与える人間というのが、ここまで自分を追い込んでいるのかということがよく理解できる本です。まるで、スティーブ・ジョブズがアートの世界で成功するにはどうすればいいんだ?と悩んでいたかのような内容でした。このあたりの感覚が似ているので、スタートアップで大金が転がり込んだ起業家というのは現代アートを好きになるのかな〜という印象を持ちました。闘う土俵は違うけど、共通する精神性をお互い(アーティスト、企業家とも)に感じるのかもしれません。
私も、村上さんのように自分なりの日本人としてのベースを元にした作品を今後は創っていきたいと強く思いました。
みなさんも、ぜひ読んでください。多くのことが学べます。
今日は、この辺りで終わりにしましょう。
本記事は、7月29日付の 「 2050’s 哲学の源 」の引用です。
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