「イーグルに訊け」は、素晴らしい人生哲学だ
みなさん、こんにちは。
人生100年時代の哲学を考察する Life100年研究所の 加藤 虎之介 です。
◇◆「人事を尽くして天命を待つ」は、素晴らしい哲学だ◆◇
最近、読んだ本からの話。
アメリカインディアンの人生哲学を、現代日本人にうまく活かせないか?という視点で読んでみました。
そこで、今回読んだ本は「 イーグルに訊け 」です。
本書を読んで第一印象として思ったことはインディアンの人生哲学というのは、極めて東洋的で日本人には馴染みやすくかつ受け入れやすい思想であることです。
日本人に馴染みやすい事例の一つ目として挙げたいのは、114ページの「知識は知恵に勝てない」という項目です。
インディアン社会では、老人と子供が尊ばれています。(このあたりはかつての日本社会もそうであったことに、中高年以上の世代ならば賛同していただけると思います)
そして、それ以外の世代(老人と子供以外の世代=現代社会でいう生産年齢の世代)は老人と子供を守る盾としての役割を社会から期待されていることです。インディアン自身もその自覚を持って社会生活を営んでいるのです。
翻って現代日本では、選挙の票目当ての議員が蔓延った影響で老人のみを尊ぶ社会に変わってしまいました。このため、子育て世代が経済的に厳しい状況になりやすい社会環境に変質してしまったのです。そして、この事実をマスコミはあまり報道しません。下流老人などといって、老人のみ虐められているかのような報道に終始している現代日本はもう一度このあたりの状況を冷静に見直すべき時期に来ていると思います。
かつての日本社会のように老人と子供が共存していた時代を再び取り戻す時期になっていると思うのです。
だからといって、かつての3世代家族社会に戻そうというのではありません。核家族化が進んだ社会を3世代家族に戻すことを提言すること自体ナンセンスです。
ではどうすれば良いのか。社会が子供を育てるという日本社会にもかつてあった思想を思い出させる活動が必要だと思うのです。
さらにインディアンの思想が日本的だと思った点は、160ページの「煩悩を追求しても幸せになれない」という項目です。
インディアンたちは何事か大きな問題が起こると、「イーグルに訊け」というそうです。これは、目に見えないレベルの流れを発見し、うまくそれに乗っていくとという生き方だと著者の天外さんは解釈し、日本人もその思考をうまく取り込むべきだと訴えています。この思考は仏教的でもあると言います。
なぜならば、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を愚直に取り入れてきたかつての日本人の生き方そのものと相通じるところがあるからです。著者たちは、インディアンと長年関わってきたことで、アメリカという遠い地まで行く必要はなく自分たちの足元である日本にも同じような思想・思考があったことを再発見されたのです。
本書を読む前の私が持つインディアンのイメージといいますと、若い頃に読んだネット記事を思い出します。
そこでは、インディアンの居留地に日本人が尋ねるとそこに住む一部のインディアンたちから「お前は、何族だ?」と聞かれたことがあり驚いたという趣旨のことが書かれていました。現地のインディアンは、アジア人である日本人を見て仲間と勘違いしたことに驚いた記憶があります。
私たち日本人が抱くインディアンというと、西部劇に出てくるインディアンの顔です。または、「ダンスウィズウルブス」に出てくるカッコいいインディアンたちです。インディアンというのは、いわゆる鷲鼻をもつ人たちのイメージが強かったからです。確かに肌の色はアジア人に近い印象もあります。衣装が毛皮と鳥の羽を帽子のように被っているので、見た目がアジア人というより私なんかからすれば南米のインディオのイメージに近いという印象だったからです。
私のインディアンに関する知識といえば、その程度のものでした。知見と言うよりも、映画やネット記事で知った浅い知識ばかりでした。
本書を読んで学んだことは、白人主導の合理的思考ばかりだと人生が行き詰まってしまう時もあるということです。
そして行き詰まったときこそ、インディアンやかつての日本にあった思想や哲学を積極的に受け入れたほうが人生を楽に生きられるということです。人生は、裏か面かの2面だけではなくどちらでも構わないというレベルの問題がたくさんあるからです。
資本主義というのは、裏か面かを合理的に判断することでロスを少なくし最短距離で発展することを可能としてきた思想です。
しかし、人間は機械でないため(倫理的に)合理的な判断が受け入れられない時もあるのです。
合理的であるが、倫理的に浮き入れられないという問題に直面した時こそ、東洋思想やインディアンの哲学というのは人生に寄与することを学べたことは私にとって大きな収穫でした。
努力しているのに、なかなか結果として現れないというジレンマに陥る人は多いでしょう。
そういうときにこそ、上記にも書いたように「イーグルに訊け」や「人事を尽くして天命を待つ」という思考や発想・生き方は、精神を穏やかに保つために必須の心得だったのです。
人間(自分)は大きな力で見守られていると考えることの重要性を、私はすべての人に知ってほしいとさえ思いました。
みなさんも、焦らずゆったり構えて事に当たってくださいね。
今日は、この辺りで終わりにしましょう。
本記事は、7月1日付の 「 2050’s 哲学の源 」の引用です。
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