日本人はもっともっと色々な国の人たちの思惑を考慮できるようになるべきだ

 

みなさん、こんにちは。

人生100年時代の哲学を考察する Life100年研究所の 加藤 虎之介 です。

 

◇◆日本人はもっともっと色々な国の人たちの思惑を考慮できるようになるべきだ◆◇

 

今回ご紹介する書籍は、「 敗者の条件 」です。

本書を読んだ感想は、ヨーロッパ中世の研究者が日本の戦国時代(乱世)に生きた人々について当時のヨーロッパ諸国と同時期の日本を比較している点が私の知っている他の歴史系の書籍と大きく異なることでした。

しかもヨーロッパというのは日本に比べ地理的に北方にあるため農作物が育ちにくく人を養うのに日本の面積の50倍を要する必要があったのではないか?という指摘は初めて知りましたし衝撃的でした。その上平坦な土地だからこそ、色々な民族がいい土地の奪い合いをしてしまったこと。そんな歴史が、争い事に対し日本人に比べ執着の度合いが大きく異なる結果になったのではないか?という視点は、私にとって新しい発見でした。

例えば、オリンピックなどの競技でヨーロッパ発のスキージャンプなどはルール変更が目立って大きく取り上げられたことがあります。ネット検索してみても、度重なるルール変更に対して多くの日本人がこの度重なるルール変更に不信感を持っていることを物語っています。(欧米の陰謀? 参照)

ヨーロッパの人々がスポーツのルール変更を臆面もなく変更する背景には、表立って人種差別の発言が出来ないからというのもあるかもしれません。

それでも、実は勝負への捉え方やこだわりが日本人と大きく異なっているからではないのか?というのを本書を読んで感じるようになりました。

ヨーロッパでは自分の土地が奪われれば、すなわち「死」に直結するのです。(簡単に逃げ込める山がなく、平地なため)

しかし、日本だと例え自分の現在の土地を奪われたとしても山に逃げ込んで「再起を図る」ということが歴史的に可能だったことが日本人とヨーロッパ人との間にある勝負に対する非常に大きな哲学の差に繋がっていると考えられると会田さんの指摘に納得できたからです。

最近でも似たような問題が発生しました。東京でオリンピックを開催すると決定しておきながら、オリンピック開催があと半年ほどなのに突然マラソンなどの競技開催を東京ではなく、札幌にすべきだとIOCによる一方的な通告に多くの日本人は疑問を持ったのではないでしょうか?

IOCは東京の夏が暑過ぎることを理由の一つにしています。

過去のオリンピックの開催地を調べると、2008年の北京オリンピック以来今回の2020年東京に至るまでの間の12年間は比較的涼しい開催地であったことが分かりました。

2008年 北京 8月最高気温 30度 最低気温 21度 (エイビーロード 北京 参照)

2012年 ロンドン 8月最高気温 23度 最低気温 16度 (エイビーロード ロンドン 参照)

2016年 リオ 8月最高気温 26度 最低気温 19度 (エイビーロード リオデジャネイロ 参照 南半球なので涼しい時期になるそうです)

2020年 東京 8月最高気温 30.8度 最低気温 26.4度 (気温と雨量の統計 参照)

気温の比較が東京以外は別のサイトの比較になってしまっているのが残念ですが、北京と比較しても高い温度は確かでしょう。

オリンピックの開催時期について調べるとロイター紙ロイター紙が7月の時点で東京五輪の開催時期に関する疑問視の声を報道しておりこれを読むと8月開催にこだわったのは、世界各局の放映会社であることが分かりました。(焦点:東京五輪、なぜ真夏に開催か 猛暑で懸念高まる

オリンピックというのが現代の世界にとって武器を使わない国家間闘争の一面としての趣きから考察すると、ヨーロッパ人(白人さんたち)の勝負に対するこだわりというか哲学の差が如実に現れているのではないのか?と考えてしまいがちです。

しかし、実はそこが落とし穴的要素であって、本当の問題は放映問題という大金(お金)が絡んでいるということです。

競技による名誉(勝敗による)とその後の収入(お金)をトータルで考えるのが得意なのは、日本人よりもヨーロッパ人(白人)だと認めざるをえないのが私の感想です。

競技の勝敗のみ追求する姿勢は日本人と白人さんとも遜色ないのかもしれません。(もしかしたら日本人が優っているとしたら、ある種特化して対策を練るといった考え方において、例として陸上のリレーが挙げられます)

しかし、競技人生全体と収入(お金)への追求の姿勢はヨーロッパ人(白人)に軍配が上がってしまっているのが現在の世界状況だと思われます。

実は、私たち日本人は世界にもまれな長期のデフレを体験してしまっているため、人生全般における収入(お金)の勝負に懸ける思い込みですとか執念とか思考や哲学が白人さんたちに比べ緩く飼い慣らされてきています。(私もデフレに飼い慣らされた人間の一人です)

本当は、グローバル社会に移行しているのだから私たち日本人ももっともっとヨーロッパ人(白人)たちの人生とお金の考え方を知る必要があったのです。(上記記事が配信された時点で、ロビー活動をしまくり、懸念事項を上手く根回しによって揉み消すべきだったのかもしれません)

本書を読んで思ったことは、私たち日本人というのは「勝負事」に関してヨーロッパの人たちに比べれば子供のように純粋に捉えすぎてしまっているのではないか?ということです。(本書の前半は、ヨーロッパ(中世)と日本(戦国や封建時代との)比較がなされており非常に示唆に富んだ内容です)

スポーツだからと「スポーツマンシップ」に則るべきという甘い思考は早急に拭い去る時期にきていたのです。(中国は孫子発祥の国なのでロビー活動は得意と考えるべきです)

オリンピックの問題を通して、色々な国の人々の思惑をトータルで考慮できる人間が日本にはもっともっと必要だと改めて認識させられました。

私たち日本人は、もっともっと色々な国の人たちの思惑を先取りできる能力を磨く必要があったし、今後に活かすようにすべきです。

今日は、この辺りで終わりにしましょう。

 

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会田 雄次(著)1965年

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