日本人は、「死」から目を逸らしすぎだ

 

みなさん、こんにちは。人生100年時代の哲学を考察する Life100年研究所の 加藤 虎之介 です。

今回ご紹介する記事は、「 「看取りの家」断念 多死社会の課題浮き彫りに 」です。

◇◆日本人は、「死」から目を逸らしすぎだ◆◇

「特養」という老人ホームで介護の仕事に携わっている虎之助としては、このような記事は驚きでした。

認知症が低く、しかし足腰が不自由になって自宅で過ごすことができないと判定されて私が勤務している「特養」に入所されてくる人もいます。

そのような人たちは、「本当は自宅で死にたかった」という思いを胸に抱きながらも福祉施設に仕方なく?入所されてきているにも関わらず、上記の記事を読むとそのような本当の「自宅」で亡くなることを想定した施設を立ち上げようとされたにも関わらず、地域住民の反対を受け「(本来人間が望む形の)看取りサービス」を潰されたそうです。

しかも、反対運動をされた人たちのコメントが60代、80代と若者からすれば「棺桶に片足突っ込んだ人たち(表現は悪いですが、、)が、「死」を日常の一部として見たくない」という理由で反対されていたというのも驚きでした。

自分たちは、いつまでも生きていれると考えていたのでしょうか?

自分たちは、どのような死に方をしたいと考えているのでしょうか?

子供や孫が様子を見に行くのも憚りたくなるような、遠隔の老人ホームに自分が入所しなければならない現実を知っていたのかこの記事から判断しかねます。

しかし、立ち上げ予定だった「看取りの家」で葬儀を執り行わなければ「いつ人が亡くなったか」という事は地域住民の人々も気づかないと考えられたのですが、、、非常に残念な結果になってしまったなという印象を持ちました。

日本の医療が発達したおかげで?で本来その人の寿命だった時期を延ばすことが可能になっています。(高齢者の胃瘻問題)

私は、人生100年時代と言われる昨今でありながら人々が「老いや、認知症(ボケる)、死に方」に興味が無い人々が多いことに驚いております。

自分が中高年になって、年々体力が落ちている危機感は感じます。

たしかに自分自身が介護サービスに携わったからこそ認知症というものに興味を持った事は否めません。

ましてや、健康な一般の人からすれば「死」というのはかなり遠い存在に感じるかもしれません。

または、「死」から目を逸らしすぎています。

しかし、私たちは「死」から目を逸らす事は人間である限り免れないのです。

ライフ100年研究所では、ご家族や本人が人生最後の際に「生きてて良かった」と思えるような生き方を提案、模索していきたいと考えております。

みなさまも、ご一緒に(重いテーマですが)少し考えて見ませんか?

今日は、この辺りで終わりにしましょう。

 

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お勧め度
総合ランク   ★★★★☆ (4.0)
万人受け    ★★★★☆ (4.0)
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*(注意)

(哲学度合いというのは、筆者的に人生訓を得れるかどうか考えられたのか否かを個人的ポイントに表しています)

 

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では、またお逢いしましょう。

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