大虐殺を後悔させる:映画「アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》(字幕版)」を観て考察
みなさん、こんにちは。人生100年時代の哲学を考察する Life100年研究所の 加藤 虎之介 です。
「 アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》(字幕版) 」を観ました。
この作品を観るのは、非常にキツかったです。ドキュメンタリー映画の好きな私ですらかなり引きました。
大虐殺を後悔させる
というのも、「人を殺した(しかも多数)」と言っている人物が自慢げに話す姿は30分づつしか観れませんでした。(166分だったので、6回ほどに区切って観ました)
例えば、効率よく殺すために針金を使ったと言って実演するシーンが何度か出てくるのです。最初は自慢げに演じていたんですが、後半に自分が同じようなシチュエーションを演じたあと言動が変わってきました。
監督のジョシュア・オッペンハイマーさんをウィキペディアで調べると、親族をホロコーストで亡くしたユダヤ系アメリカ人だとわかりました。
この作品は、インドネシアにおける大虐殺を率先した人間がいまだに同地で悠々と生きていることに対する虐殺者への(ユダヤ系アメリカ人監督の)ある種の復習と捉えられかねない内容でした。
しかし、動機はなんであれ、事実を世界に向けて発信したジョシュア監督の功績は非常に大きいです。私には、真似できない覚悟を感じました。
この作品で、殺人者が自分も過去に殺害した人物と同じ体験(演技でも)したことで、死への恐怖、踏みにじられた自尊心、残される家族への思いを与え、己が恐ろしいことをしたと認識させられたことは観ていてよくわかりました。(法的には、罰せられておりませんが)
このことは、ジョシュア監督が想定していたのか予想以上の効果だったのかは分かりかねましたが一部の人間においても、大虐殺を後悔させた功績は素晴らしいです。
ただ、観るのには気合と覚悟が必要です。
それでも、興味のある方はぜひ観てください。今日は、この辺りで終わりにしましょう。
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2014年
これが“悪の正体”なのだろうか―――。60年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺。その実行者は軍ではなく、“プレマン”と呼ばれる民間のやくざ・民兵たちであり、驚くべきことに、いまも“国民的英雄”として楽しげに暮らしている。映画作家ジョシュア・オッペンハイマーは人権団体の依頼で虐殺の被害者を取材していたが、当局から被害者への接触を禁止され、対象を加害者に変更。彼らが嬉々として過去の行為を再現して見せたのをきっかけに、「では、あなたたち自身で、カメラの前で演じてみませんか」と持ちかけてみた。まるで映画スター気取りで、身振り手振りで殺人の様子を詳細に演じてみせる男たち。しかし、その再演は、彼らにある変化をもたらしていく…。
筆者のお勧め度は、下記の通りです。
お勧め度
総合ランク ★★★★☆ (4.0)
万人受け ★☆☆☆☆ (1.0)
哲学的度合い ★★★★☆ (4.0)
*(注意)
(哲学度合いというのは、筆者的に人生訓を得れるかどうか考えられたのか否かを個人的ポイントに表しています)
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